パリの東から

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無視された重弦(無伴奏チェロ組曲第1番、プレリュード)
~200年もの間の、チェリストの怠慢~

まだまだ続く「無視された」シリーズ(笑)。
今度は「無伴奏チェロ組曲」第1番に戻って、「無視された重弦(ダブルストップ)」である。

これをもって、「無伴奏チェロ組曲最大のミステリー」と呼びたい。「無視された半小節」もミステリーといえばミステリーだが、少なくともバッハの初稿ではこの半小節は無かったのだから、無視するのもひとつの可能性なのだが、こちらはすべての筆写譜にあることであり、200年もの間すべてのチェリストが無視して来たことは、まことに謎としか言いようがない。

(横山真一郎 編集の「無伴奏チェロ組曲」第1番(スラーなし)の楽譜はこちら。無料です。)

バッハ「無伴奏チェロ組曲」といえばこれ、というくらい有名な第1番ト長調のプレリュード。何とこれにまで「無視された」箇所があったのである。もっともこれはぼく自身も目には見えていたものの、それが何であるかは気づいていなかったので、無視して来たに等しいのだが。

このプレリュードの第33小節の3拍目から第36小節の2拍目までにかけて(つまり3小節分)、Aの音が重弦で書かれている。つまりD弦上のAの音とA弦の開放弦とを重弦(ダブルストップ)で弾くようにバッハは指示しているのだが、これをちゃんと重弦で弾いている演奏を見たことも聞いたこともない。

これはマグダレーナ・バッハの筆写譜で、上段右端から重弦が始まっている。
Bach Cello Suites No1 Prelude

これは4つの筆写譜全てに書かれているのでバッハが書いたことは疑いがない。ところがドッツァウアーがこの重弦を無視してA弦とD弦を交互に弾く楽譜を作り(1826年)、さらに旧バッハ全集(1879年)がそれを踏襲して以来、ほとんどの楽譜がこれに従ってしまった。

幸い例外はあって、ウェルナー・イッキングの楽譜(1997年)はこれを書いているし、パリ初版譜(1824年)及び比較的最近出版されたヘンレ版、ウィーン原典版も不完全ながら書いている。

ドッツァウアー版。19、20世紀のほとんどの楽譜がこの形を書いている。
Dozauer.jpg

特に注目すべきはこの重弦の出始めで、3つ並んだ16分音符のA音の全てを重弦で弾くように書いている。これまた4つの筆写譜全てに書かれているのでバッハが指示したことは間違いない。

この3つ並びのA音はその2小節あとの2拍目と3拍目にも続いて出て来るが、おもしろいことにこちらは筆写譜によってまちまちである。アンナ・マグダレーナとC資料は2拍目・3拍目とも2つ目のA音は単弦であるし、ケルナーは両方のA音全てが重弦、D資料は2拍目だけ全て重弦になっている。

ケルナーの筆写譜
1 Prelude Kellner ds

先ほどいくつかの版が「不完全」であると言ったのは、この3つ続きのAの重弦をちゃんと書いていないからである。しかもあろうことか、ヘンレ版は2000年の初版では3つ続きの重弦を書いていたのに、2007年の改訂版では3つ続きをやめたのである。つまりこれらの楽譜の校訂者は、二重符尾を書いておきながら、それが重弦であることを理解していないのである。

いずれにせよ、この上下に符尾がある音符が曲が盛り上がっているところにだけ書かれていることから、バッハが重弦を求めていることは明白である。

またその手前で低音のG-E-F#-Dという音形が3回も繰り返されていることの意味も、そのあとを重弦で弾くことによって初めて分かって来る。ベーレンライター原典版でヴェンツィンガーが書いたように2回目のG-E-F#-Dで弱くしてはいけない(この楽譜の影響でそのような演奏が多いが)。第33小節の頭(上のドッツアーの楽譜の左端)で既にエンジン全開になっていなければならない。
バッハはここで相当強い表現を求めているのだ。おそらくパイプオルガンのフルストップを想像しているのだろう。

さらに興味深いのが、第36小節の3拍目と4拍目に重弦がないことである。これによって自然とディミニュエンドされることになり、そのあとの上昇する半音階によるクレッシェンドの効果が、否が応でも増すのである。まことに心憎い書きっぷりである。

それでも重弦を疑う人は、無伴奏ヴァイオリンのための「シャコンヌ」を思い起こすだけで十分だろう。中央のニ長調の部分、第165小節からA音およびD音で、同音の重弦が力強い表現を行っているが、これをまさか単弦で弾くヴァイオリニストはいないだろう。

こちらはチェリストにはうらやましいバッハの自筆譜
Ciaccona 1

それではどうしてチェリストは同じようにしないのだろう?

またバッハがもし単弦で弾くのを望んでいたのなら、その同じ「シャコンヌ」のあとの方(第229小節以降)で書いているようにしただろう。これはまさしくドッツアー以降の書き方とそっくり同じなのである。

Ciaccona 2

これ以上の証明は必要ないと思うが、それでもこれは重弦ではないという人は、バッハが同じ時期にヴァイオリンとチェロとで違う楽譜の表記法を採用したということを証明しなければならない。もちろんそんなことが不可能であることは言うまでもない。

いまや数あるバッハの作品の中でもトップクラスの人気を誇る「無伴奏チェロ組曲」。チェロ以外のさまざまな楽器でも演奏され、とりわけギタリストにとっては主要レパートリーの一つとまでなっているのに、肝心のチェリストがこんな怠惰なことでどうするのか。


~神の栄光を讃える重弦?~

さてところで、上の説明を読んでいてあることに気づいた人がいるだろうか?

それは数字である。

この重弦が始まるのが第33小節の3拍目、そして3つ続きのA、重弦があるのが3小節分、重弦の前にG-E-F#-Dのパターンが3回繰り返される。これらの3は果たして偶然だろうか?

バッハの数字好きはよく知られている。これもおそらく意図的であるに違いない。とすると3回続きのAの重弦は、ケルナーの筆写譜にあるように3回とも演奏されるべきなのだろう。

3はキリスト教の三位一体を意味しており、この重弦部分は神の栄光を讃えていると考えて間違いないだろう。そうすると、この部分を重弦でなく弱々しく弾くのはバッハの意図に全く反することになるだろう。

バッハの「無伴奏チェロ組曲」は、神の栄光を讃える堂々たるプレリュードで始まるのである。

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バッハ「無伴奏チェロ組曲」まとめ


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  1. 2012/12/01(土) 19:22:40|
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