パリの東から

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バッハ「無伴奏チェロ組曲」4つの写譜
バッハ「無伴奏チェロ組曲」第3番(スラーなし)の楽譜ができました。
「楽譜書庫」で無料公開しています。どうぞご利用下さい。
http://bit.ly/BachVc3

さて、バッハの無伴奏チェロ組曲は不幸にもバッハ自身の自筆譜がまだ発見されていない。残された他の人による筆写譜はどれも不完全で、チェリストは常に「これでいいのだろうか」と悩まされてしまう。しかし自筆譜が発見されるまではその残された資料からバッハの自筆譜を想像するより他に方法はない。


ケルナーとアンナ・マグダレーナ・バッハの筆写譜

重要な資料は2つ。一つはバッハの弟子(友人とも)でオルガニストのケルナー(Johann Peter Kellner, 1705‐1772)による筆写譜(1726年筆写)。もう一つはバッハの二番目の妻、アンナ・マグダレーナ・バッハによる筆写譜(1727年から1731年の間に筆写)である。それ以外にも18世紀後半の作者不明の筆写譜が2種類残されているが、上の二つがバッハの自筆譜から直接写譜されたに違いないのに対し、写譜の写譜、あるいはそのまた写譜であろうと考えられるため、上の2つに比べれば重要度は劣る。

1824年ごろにパリで最初の印刷譜が出版されて以来、チェリスト鈴木秀美氏によると40種類ぐらいの楽譜が出版されたらしい(追記、ディミトリー・マルケヴィッチ氏によると100種類にものぼるようである)。私はそのうちの十数種類ぐらいしか見たことがないが、アンナ・マグダレーナの筆写譜を見て以来どれも信用できなくなり、自分で楽譜を作ることにした。しかしスラーを決定することは現在の自分には不可能なので、問題を音符だけに絞って各資料を比較検討して作っている。

すでに第1番、第2番の作成の過程で明らかになった事だが、ケルナーはバッハの自筆譜の比較的初期のものを筆写しているのに対し、アンナ・マグダレーナは後にバッハが加筆訂正したものを筆写していると考えられる。これは私の偏見かもしれないが、これまでの出版譜はどうもこのことに気づいていなかったか、あるいは気づいていても無視して作られて来たように思われてならない。

これまでの記事で述べて来た事の他に、例えば組曲第5番の筆写譜だが、ケルナーは何とサラバンドを全く書き写していない。さらにジグも9小節書き写したままで終わっている。このことは従来ケルナーがズボラしたかのように言われて来たようだが、実はバッハがまだ書いていなかっただけではないだろうか?

何しろ曲が曲である。ジグはともかく、第5番のサラバンドは全組曲中で最も特異な曲と言っていい(1音だけ除いて8分音符と4分音符だけ、分散和音とアポジャトゥーラだけで書かれている)だろうから、十分有り得ることと思う。バッハは他の曲をすべて書いてから、このサラバンドをじっくり書きたかったのではないだろうか?またこのサラバンドにはバッハのサインが隠されているのだが、そのことがますますこの曲を最後に書いたことに確信をもたらすのである(サインのある曲は他にもあるが)。

この問題に関して、アメリカのあるヴィオラの先生が、ケルナーはオルガニストだったので、和音が全然ないこの2つの曲に興味がなかったのだと言っているが、例えば第4組曲のジーグにはやはり一つも和音がないし、第1組曲のプレリュードだって最後の音以外に和音はない。また別の人は、ケルナーは第5番を実音に直して筆写していたので難しくて途中で放棄したのだとか言っているが、ここまで書いておいてあの短いサラバンドを書き写さなかったなんて考えられるだろうか?。サラバンドをすっとばしておきながら、その次のより複雑なガヴォットをなぜ書いたのだろうか?なんで一番単純に、バッハ自身がまだそれらを書いていなかったと考えないのだろう?

追記

その後の研究から、ケルナーはバッハの草稿から、アンナ・マグダレーナはバッハの清書楽譜から写譜したことがほぼ確実になって来た。つまり草稿には第5番のサラバンドとジグの10小節目以降は書かれておらず、バッハも草稿にそれらを書き加えることはせずに清書楽譜を仕上げたものと思われる。

またケルナーが1726年に筆写してそれが不完全だからといって、その時まだ全組曲が完成していなかったとは言えなくなってしまった。というのはバッハ研究者富田庸氏が「平均律クラヴィーア曲集」について言うように、バッハは弟子達に楽譜を写譜させる場合、貴重な清書楽譜は渡さずに、草稿に手を加えて渡していたそうだからである。「無伴奏チェロ組曲」や「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」の場合も同じことが言えそうなのである。


C資料とD資料

さて残り2つの筆写譜だが、便宜上C資料、D資料と呼ばれているが、お互いに相違点もあるものの多くの共通点があり、兄弟のような資料といっていいだろう。C資料は時々ヴェストファルの筆写譜と呼ばれるが、ヴェストファルというオルガン奏者が所有していただけで、本人が筆写したわけではない。

最近の通説では、アンナ・マグダレーナとは別にバッハの自筆譜から写譜された、現在は失われてしまった筆写譜(資料Gと呼ばれている)からさらに書き写されたと考えられているようだが、これは間違っている。これらはアンナ・マグダレーナの筆写譜の系統である。というのはいくつかのアンナ・マグダレーナのミスをそのまま引き継いでいるからである。その数は14にものぼる。例えば第2番アルマンドの第9小節3拍目のAの音が欠けていること、第4番プレリュードの早すぎたフラットがそのままであることなどである。

このことはちょっと調べてみたら素人でもわかるぐらい明白なことなのだが、何故か研究者の間では認められていないようだ。これも「無伴奏チェロ組曲」の謎の一つである。

(追記
と言うか、どうしてこれがわからない?正直言って研究資格がないとしか言いようがない。14ヶ所もあるんだよ。「早すぎたフラット」一つだけでも十分な証拠なのに。ぼくが「無伴奏チェロ組曲」の研究は100年遅れている、と言うのがわかってもらえると思う)


一方、ケルナー自身によるものと考えられるいくつかのミスはC、D資料に全く反映されていない。つまりC、D資料はケルナーの影響を全く受けていないのである。しかしそれではアンナ・マグダレーナが明らかに書き落としている、第6番アルマンドの第2小節の第2、3拍目の低音をちゃんと補っていることや、第2番サラバンドの第23小節2拍目のリズムが、アンナ・マグダレーナとではなくケルナーと同じであることなどをどう説明したらよいのだろう。

ひとつの仮説として、ケルナーと同様に、バッハの草稿から筆写した別の筆写譜があってそれをI資料と呼ぶならば(なぜIかというと、EからHは既に使われているから)、それとアンナ・マグダレーナの2つを資料として作られたのがG資料であって、そこからC資料とD資料が写譜されたのかも知れない。

図で示してみよう。

Stemma 2014 jp

実際には、縦に並ぶ資料の間にはもう一つ(かそれ以上)の別の筆写譜が存在する可能性がある。

ところで1824年に出版された「無伴奏チェロ組曲」の最初の出版譜(パリ初版譜)はE資料と呼ばれるが、それはちとおかしいのではないか?パリ初版譜を作る基となった資料(もっぱらこれを基に作られたのだが)の方をE資料と呼ぶべきだろう。ましてやこの本来のE資料を基に、編集者ノルブランの改変やテンポ表示を加えたパリ初版譜を他の筆写譜と同列に扱うのはまったく馬鹿げたことである。

4つの筆写譜とそれ以降の出版譜は、はっきりと分けて取り扱うべきである。

いずれにせよ、C、D及び(本来の)E資料がアンナ・マグダレーナの系統にあることはあまりにも明白であり、各組曲の詳細についての記事においてそのことに触れて行こうと思っている。

しかしながら面白いことに、パリ初版譜にはいくつかケルナーと共通するところがある。つまりE資料だけはC、D資料と違ってどこかでケルナーの影響を受けたと思われるフシがあるのだが、何しろパリ初版譜=E資料ではないので、ノルブランの改変による偶然とも考えられ、これを証明するのはちょっと難しいと思う。ただ1ヶ所だけはどうにも偶然とは言えないのである(第6番アルマンドの第2小節1拍目の16分音符の低音)。


ともかく従来の出版譜はこれらの筆写譜をいわば平面的に見て、つまり資料間の関係を十分に考慮せずに作られて来たように思う。これからはぜひ立体的に見て作って行って欲しいと願う次第である。


<関連記事>

バッハ「無伴奏チェロ組曲」の出版譜について


バッハ「無伴奏チェロ組曲」まとめ

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テーマ:チェロ - ジャンル:音楽

  1. 2011/10/12(水) 20:33:48|
  2. 無伴奏チェロ組曲
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