パリの東から

無視されたターン(無伴奏チェロ組曲第5番、プレリュード)
一体どこまで「無視された」シリーズを書かなければならないのか。

バッハ「無伴奏チェロ組曲」の楽譜を作る人に言いたい。真面目に作るつもりがないならやめてほしい。って日本語で言っても無駄か(笑)。

昨日初めてパリ音楽院の図書館という所に行って、いくつかの「無伴奏チェロ組曲」の楽譜を見たのだが、呆れるほかなかった。ベーレンライターの新バッハ全集版は1988年のものだが「無視された重弦」を相変わらず無視していた。

ハンス・エプシュタインさん、あなたにはあの重弦が見えないのか?一体いかなる理由があって、あの重弦を書かないのか?4つのすべての筆写譜にあるあの重弦を一体どのような理由で抹消することができるのか、その理由を聞きたい。まあ今までみんながそうして来たという以外、理由なんてあるわけないのだが。

さて、ターンである。

アンナ・マグダレーナの筆写譜では、第5番のプレリュード第5小節、2拍目(3つ目の4分音符)の上の音D(スコルダトゥーラで2度下げられているので実際に出る音はC)にターンが付いている。ターンと言っても、かなり縦に(80°ぐらい)書かれているのだが、紛れもなくターンである。

5 Prelude Cadence AMB

これをちゃんと書いている楽譜を、いつものことながら、見たことがない。もしも書いてある楽譜があったら、知らせて下さい。何せ「無伴奏チェロ組曲」の楽譜は100種類ぐらいあるので。

(追記、何と見つかりました。ただし出版譜ではなく音楽学の論文ですが。書いたのはアメリカの大学にいる韓国人のようです。この論文と楽譜はこの曲の演奏に大変役立つと思うので、ぜひご覧下さい。こちらから。楽譜はファイルの55ページからです。)

これも本当にわからない。これほどはっきりと書かれているターンがなぜ見えないのか、これがターンとは気づかなかったというのなら、そもそも楽譜校訂者としての資格がない。

お笑いとしか言いようがないが、いくつかの版ではこれを4分休符だと思って大真面目に記入している。全然形が違うのに。バッハが長男フリーデマンのために書いた有名な装飾音一覧表(Explication)を見ればわかるのだが、これはターンである。バッハ自身はこの装飾記号をフランス風にcadence(カダンス)と呼んでいるが。

小さな写真しか見つからないが上段右から3番目。こちらでは約45°の傾きだが。
explication.jpg

さてそうは言ってもこれをどう弾くかという問題は残る。スコルダトゥーラしているためにこのDは4指で取らざるを得ず、すぐに装飾を付けるのは困難である。おそらくここではその2小節後(第7小節)の後半にあるようなリズムが期待されているのだろう。D--EDC# | D--D というように。

5 Prelude Cadence AMB 2

もちろん他にアイデアがあればご自由に付けて下さい。

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  1. 2013/01/25(金) 07:45:03|
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装飾音、テンポ、強弱記号(バッハ「無伴奏チェロ組曲」)
「無伴奏チェロ組曲」の各資料を比較していて気づくのは、ケルナーでは書かれていた装飾音、テンポ、強弱記号が、アンナ・マグダレーナではなくなっていることが多いということだ。

無伴奏チェロ組曲のテンポ表示なんて見たことがない、という人がほとんどだろうが(編集者が自分の考えで書いたのはもちろん除く)、ケルナーには2つある。第3番のプレリュードにPrestoと書かれており、また第6番のアルマンドにはAdagioとある(ただしその前のプレリュードの終わりに「アルマンド アダージオに続く」と書かれている)。

また強弱記号も、アンナ・マグダレーナでは第6番のプレリュード以外では書かれていないのだが、ケルナーでは第2番のプレリュードのフェルマータのあと、第49小節と第50小節にそれぞれP、Fとある。次に第3番の第2ブーレの頭にpianとある(oがない)。
また第4番の第1ブーレの第45小節の2拍目の裏にP、次の小節の2拍目に(実際には前と同じく2拍目の裏だろう)Forteとある。アンナ・マグダレーナとは逆に、第6番のプレリュードに強弱記号はない。

さらにトリルなどの装飾記号はケルナーの方が圧倒的に多い。

横山版バッハ「無伴奏チェロ組曲」楽譜においては、最初のうちはこれらをアンナ・マグダレーナにはないという理由で書き入れなかったのだが、奏者に大いに参考になると思い、現在これらを記入するよう改訂を進めている。

それにしてもなぜ、ケルナーにはあるこれらの表示がアンナ・マグダレーナにはないのだろう?ケルナーは作曲の勉強として、極めて忠実にバッハの楽譜を筆写していると思われる。もちろんミスがあるのは仕方のないことだが、自分で勝手にこれらの表示を書き入れたとは考えられない。これらの表示はバッハ自身によるものと考えて間違いないだろう。

アンナ・マグダレーナは書き落としたのだろうか?

想像するに、バッハは無伴奏チェロ組曲を清書する際に、一人前の音楽家にはわかりきったことなので、これらの表示を不要なものとして書かなかったのではないだろうか?特に装飾音は奏者に任されていたのだから、ここだけは必ずというところを残して、あとはごっそり削ったのではないだろうか?

ところでケルナーでもアンナ・マグダレーナでもなく、バッハ自身が書いた速度表示がある。第5番のプレリュード、と言ってもバッハ自身がリュート用に編曲した版の方だが、フーガの始まるところ(第27小節)にフランス語でTres viste(とても速く)と書いているのだ。これも大いに参考になるだろう。


ついでに「無伴奏チェロ組曲」の各曲を拍子記号別に分けてみよう。テンポを考える際の参考になるだろう。拍子記号はアンナ・マグダレーナに従い、ケルナーで異なる場合はカッコ内に示した。

C(4分の4拍子)

第1番 プレリュード
第2番 アルマンド
第3番 アルマンド
第4番 ブーレ2(¢)
第6番 アルマンド

¢(2分の2拍子)

第1番 アルマンド
第3番 ブーレ1、2
第4番 プレリュード、アルマンド、ブーレ1
第5番 プレリュード第1部、アルマンド、ガヴォット1、2
第6番 ガヴォット1

4分の3拍子

第1番 クーラント、サラバンド、メヌエット1、2(分母のない3拍子)
第2番 プレリュード、クーラント、サラバンド、メヌエット1(分母のない3拍子)
第3番 プレリュード、サラバンド
第4番 クーラント、サラバンド
第5番 サラバンド
第6番 クーラント

2分の3拍子

第5番 クーラント
第6番 サラバンド

8分の3拍子

第2番 ジーグ
第3番 ジーグ
第5番 プレリュード第2部、ジーグ

8分の6拍子

第1番 ジーグ
第6番 ジーグ

8分の12拍子

第4番 ジーグ
第6番 プレリュード

分母のない3拍子

第2番 メヌエット2
第3番 クーラント

分母のない2拍子

第6番 ガヴォット2 

この分母のない拍子は興味深い。曲想から考えて、分母がある場合より若干速目として間違いないだろう。また、同じ4分の3拍子と言っても、プレリュード、クーラント、サラバンド、メヌエットの場合でそれぞれ別に考えなければならないのは言うまでもない。

また、ジーグには3通りの拍子記号があるが、分子が大きいほど速くなると考えていいだろう。つまり8分の3拍子である2番と3番と5番が一番遅く、続いて8分の6拍子の1番と6番、一番速いのが8分の12拍子の4番というわけである。と言ってもあまり杓子定規に考えるべきではない。同じ8分の3拍子とはいえ、2番と3番と5番とでは微妙に違いがあるだろうし、1番と6番とでも、より音符の細かい6番の方が幾分ゆったりするだろう。

あるチェリストが4番のジーグをめちゃくちゃ速く弾いているのを聞いたが、音楽もへったくれもない。この穏やかで平和に満ち溢れた組曲がぶち壊しである。多分彼は上に書いたことからそう弾くべきだと思ったのだろうが、こういうのを杓子定規と言うのである。

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  1. 2013/01/22(火) 16:44:01|
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早すぎたフラット(無伴奏チェロ組曲第4番、プレリュード)
先ごろバッハ「無伴奏チェロ組曲」第4番、変ホ長調の楽譜が完成したが、
(横山版「無伴奏チェロ組曲」第4番(スラーなし)の楽譜はこちらから。無料です。)

第4番は多少問題の箇所がある。特にプレリュードの「早すぎたフラット」は全く信じられないことに、カザルス、トルトゥリエといった20世紀の大家から最近の名手に至るまで、実に多くのチェリストによって弾かれており、唖然とせざるを得ない。

これはアンナ・マグダレーナの凡ミスに過ぎないのである。それがなぜこんなに広まってしまったのだろう?

プレリュード第16小節、2番目の8分音符はアンナ・マグダレーナの筆写譜ではD♭になっているが、これはまったくの筆写ミスである。なぜなら同じ小節の6番目の音である1オクターブ低いD音には何も付いていないからで、しかも同じ小節といっても、第16小節の後ろ半分は次の段の五線に移っている。つまり次の段を筆写している際、ついうっかり前の第16小節にさかのぼってフラットを付け足してしまったのである。

ここで理解して欲しいのは、筆写譜はバッハの原稿の段まで忠実に写しているわけではないことである。そのため原稿と筆写譜との間で視覚的な混乱が生じて、原稿の第17小節と第18小節にあるフラットを筆写譜の第16小節にまで付けてしまったのである。

上の段、右から3つ目の8分音符が問題のD♭
4 Prelude AMB

段を変えていないケルナーには当然ながらこのフラットはない。
4 Prelude Kellner double b

この五線の段を変わった際の間違いとしては、ほかに第3番のジーグと第5番の同じくジーグにあり、どちらの場合も同じ小節を2回書いてしまっている。段が変わった時はミスをしやすいのである。

ケルナーも、第3番のサラバンドを筆写していて、バッハの楽譜のある段を丸々書き落としている。つまりこれはアンナ・マグダレーナの場合とは逆で、自分の方の五線ではなく、元のバッハの方の五線の段が変わったところでミスをしているのである(これによってバッハの自筆譜が、第13小節から17小節までが一つの段になっていたことがわかるのだが、もちろん大して役に立つことではない)。

ただ、なぜこれが「早すぎたフラット」」なのか、言葉で説明するのは少々厄介である。以下は特に関心のある方以外は読み飛ばして構わない。なので小さい文字で書く。

変ホ長調で始まった曲は、上部の音の多少の揺れはあるものの低音のE♭によって、第9小節までは変ホ長調が保たれる。ところが第10小節から低音の下降が始まり、調の行方がわからなくなる。しかし第13・14小節のF7の和音と第15小節のB♭の和音によって、変ホ長調のドミナントである変ロ長調への転調が確立される。

ところがその安定は長く続かず、第17・18小節のE♭7の和音と第19小節のA♭の和音とによって、変ホ長調のサブドミナントである変イ長調への転調が確立される。わずか4小節の間に変ホ長調のドミナントからサブドミナントへ、5度圏を一気に2段階駆け下りるのである。

この急激な転調が滑らかに行われるには、2つの調の中間の変ホ長調の和音が聞かれなければならない。言い換えるなら、5度圏を一段ずつ降りて行かなければならないのである。そこで第16小節で低音をA♭に下降させ変ホ長調のドミナント7であるB♭7の和音(の第3転回形)を聞かせ、次の変イ長調のドミナント7であるE♭7の和音とうまくつないだのである。

ところが第16小節において、D♭の音を弾いてしまうと、この和音は変イ長調の第2度音(変ロ)上の短7の和音(B♭m7)になってしまう。つまり中間の変ホ長調を経ないで、変ロ長調から変イ長調へ5度圏を一段階飛び越えてしまうことになり、転調が滑らかに行われなくなるのである。

このような和声進行はありふれたものであり、D♭がおかしいことに気づかないのなら、あまりに和声進行の基本がわかっていないと言わざるを得ない。


この曲は左手のポジションと弦がのべつ幕なしに変わるという、チェリストにとって厄介な曲なため、つい弾くことに気を取られてしまうのだろうが、ピアノなど鍵盤楽器で和音を弾いてみれば、このD♭が早過ぎるということは、上のような説明を読まなくてもすぐに分るはずである。ここは第11-12小節、第19-20小節と同様の場所であり、低音だけが経過音的に下降すればいいのである。

ぼくの知る範囲では、この間違ったD♭を書いている楽譜はアンナ・マグダレーナの他に、C資料、D資料、パリ初版譜、グリュッツマッハー、旧バッハ全集、クレンゲル、ベッカー、ハウスマン、マルキン、アレクザニアン、ガイヤール、マイナルディ、フルニエ、トルトゥリエ、シュタルケルの版である。これらの版をお持ちの方はご注意下さい。また他にもありましたらお知らせ下さい。

20世紀で多分最も使われたであろう、ヴェンツィンガーのベーレンライター原典版では、はっきりとこのD♭を否定しているのに、どうして未だにはびこっているのだろう?やはりカザルスやフルニエといった人の影響だろうか?インターネット上でいろいろ聞いてみても、著名なチェリストでちゃんとDを弾いている人はヨーヨー・マぐらいなのである!(他にウィスペルウェイ、シフ)

なお2000年に出た3つの原典版(ブライトコプフ、ヘンレ、ウィーン原典版)はすべてD♮になっており、この問題に関しては進歩している。残念なのはこれらの原典版があまり普及していないことである。

またこのフラットは100%確実にアンナ・マグダレーナによるものであるにもかかわらず、そっくりC、D資料およびパリ初版譜にも記譜されていることから、これらの資料がアンナ・マグダレーナの筆写譜の子孫であることが証明されるのである。


追記

そもそもは、組曲第4番全体についての記事のつもりだったのだが、あまりにひどい現状なので、単独の記事にすることにした。
無伴奏チェロ組曲にはどちらとも決めにくい問題点、あるいはどちらでもいいじゃないという箇所が多々あって、それらはなるほどこの人はこちらにしたかという楽しみ方もあるのだが、これに関しては 選択の余地は全くない、和声進行の基本がわかっていたらありえないもの なのである。

ところで余談だが、このフラットの少し前、第12小節の最後の音を、アーノンクール氏とウィスペルウェイ氏は共にB♭ではなくCを弾いている。このような音は4つの筆写譜はもちろん、ぼくの知る限りのどの出版譜にもない。謎である。もしもそのような楽譜を見つけたらぜひとも知らせて下さい。

おそらくアーノンクール氏の単なる気まぐれを、ウィスペルウェイ氏が本気にしただけだと思われるが。

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  1. 2013/01/02(水) 22:53:45|
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