パリの東から

バッハ「無伴奏チェロ組曲」第2番について
1番に引き続いて2番の編集を始めたが、またいくつか疑問な点が出てきて面白い。

(2番の「スラーなし楽譜」ができましたので、自由にご利用下さい)
http://shin-itchiro.seesaa.net/article/163772129.html

プレリュードの30小節目の終わりから3番目の16分音符は普通Bフラットとされているが、アンナ・マグダレーナ・バッハの筆写譜をよく見ると、Bナチュラルに見える。しかし他の場所のナチュラル記号を見ると、右下に垂れ下がった線が、釣り針のようにくるりとUターンしているのが普通である。と言って、フラット記号とも明らかに違う。フラット記号は上から縦線を書いたあと、Uターンして戻ってくるだけで、このように下に線がはみ出すことは有りえない。したがって不完全ではあるけれども、これはナチュラル記号と見なさざるを得ない。

2番プレリュード、マグダレーナ

B♭の演奏に慣れた耳にはどぎつく感じられるが、慣れればこれはこれで美しい表現に感じられるだろう。また、この小節の前2拍がそれぞれ2つ目から4つ目の16分音符にかけてスラーがかかっているのに対し、この3拍目のみ1つ目の16分音符から始まっていることもBナチュラル説を裏付けるものと言えよう。つまりこの拍は旋律的なのである。

最新のカラー写真版ではここははっきりとフラットが書かれていました。

またクーラントの27小節目の終わりから2番目の16分音符。ふつうFにされているが、実は初期の4つの写譜(アンナ・マグダレーナ、ケルナー、無名の筆写家による2つの筆写譜)はすべてGと書いてあり、これは疑いもなくGが正解。

(ケルナー)
2番クラント、ケルナー

(アンナ・マグダレーナ)
2番クラント、マグダレーナ

なのに最初の印刷譜(1824年ごろ、パリ)がFとして以来、旧バッハ全集(1879)もそれに倣い、それ以来Fにされたままである。

総じて、旧バッハ全集の音選びはロマン派的な好みが感じられる。

さらにジグの69小節目の最初と4番目の16分音符はアンナ・マグダレーナではEナチュラル、しかし同じ形の71小節目ではEフラット(ナポリの6度の和音)になっている。その他の筆写譜、出版譜ではすべて、どちらの小節もEフラット。

最新のカラー写真版では69小節目にもフラットが書かれていました。

2番ジグ、マグダレーナ


またケルナーの筆写譜とアンナ・マグダレーナの筆写譜を比較して見ると、非常に興味深い相違が見られる。

サラバンドの1小節目(および5小節目)の始めの音が、ケルナーでは8分音符2つになっている

2番サラバンド、ケルナー

のに対し、アンナ・マグダレーナでは付点8分音符と16分音符になっている。

2番サラバンド、マグダレーナ

音楽的に1小節目に平行する、サラバンド後半最初の小節(13小節目)では、アンナ・マグダレーナの筆写譜でも8分音符2つのリズムが残っていることから、

2番サラバンド、マグダレーナ2

ケルナーが筆写ミスをしたのではないことがわかる。

さらに最も興味深い相違が、第1メヌエットに見られる。
第1メヌエットの6~7小節目、ケルナーでは

2番メヌエット、ケルナー2番メヌエット、ケルナー 2

と、2つの小節の最初の4つの8分音符が同形反復となっているのに対し、
アンナ・マグダレーナでは

2番メヌエット、マグダレーナ2番メヌエット、マグダレーナ2

と、7小節目が3つの4分音符の和音になっており、ケルナーの版がやや凡庸なのに対し、引き締まった表現になっている。

(追記、マルティン・ルンメルというチェリストがこのケルナーの音形を弾いています。)

これらのことから推測できるのは、バッハが無伴奏チェロ組曲に、後に手を入れたということであり、ケルナーは、手を入れる前のバッハの自筆譜を筆写しているのに対し、アンナ・マグダレーナは手を入れた後の自筆譜を筆写したということである。実際、ケルナーが筆写したのは1726年であり、アンナ・マグダレーナは1727年から1731年の間と推定されている。

したがって、ケルナーとアンナ・マグダレーナとの間の相違を、筆写ミスの問題と考えるのは一面的であり(ミスがあるのは確かだが)、バッハ自身による改訂の結果と、とらえ直さなければならない。

ジーグの第28小節最後の音は、アンナ・マグダレーナがB♮、ケルナーとC、D資料がEとなっている。ぼくの楽譜ではずっとB♮を採用して来たが、アンナ・マグダレーナのミスの可能性が高いと判断してEに改訂した(2014年8月17日版より)。確かに平行箇所(第61から第64小節)では4小節同じ音形が続くが、そのあと(第65小節)の音形が最初(第29小節)とは異なっており、ケルナー及びC、D資料の方が自然で、また美しいと思う。

ケルナー
2 Gigue Kellner

アンナ・マグダレーナ
2 Gigue AMB

面白いことに、19世紀の出版譜はほとんど(パリ初版譜、ドッツァウアー、旧バッハ全集など)がEになっていたのに、20世紀にはヴェンツィンガー版など、B♮の楽譜がほとんどであることである。おそらく、1929年にアレクザニアンがアンナ・マグダレーナの筆写譜のファクシミリをつけた楽譜を出版したことの影響が大きいと思われる。


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バッハ「無伴奏チェロ組曲」まとめ


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  1. 2010/09/19(日) 15:43:35|
  2. 無伴奏チェロ組曲
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無視されたアラブレーヴェ(¢)
~バッハの無伴奏チェロ組曲の拍子記号について~

無伴奏チェロ組曲の拍子記号については、2つの重要な筆写譜であるアンナ・マグダレーナ・バッハとケルナーの筆写譜は完全に一致している(第2メヌエット、第2ガヴォットなどにおける、わずかな表記の違いは別にして)。参考資料(IMSLP)

にもかかわらず、最初の出版譜(パリ、1824年ごろ)以来、この曲の拍子記号、とりわけプレリュードとアルマンドにおいては上記の筆写譜の指示がことごとく無視されてきた。

プレリュードとアルマンドの上記の2つの筆写譜における拍子記号を、第1番から順に記すと、

プレリュード

1番、c (4分の4拍子)
2番、3/4
3番、3/4
4番、¢ (アラブレーヴェ、2分の2拍子)
5番、¢
6番、12/8

アルマンド

1番、¢
2番、c
3番、c
4番、¢
5番、¢
6番、c

となる。

ところが1879年の旧バッハ全集版では、プレリュードとアルマンドのすべての"¢"(アラブレーヴェ、2分の2拍子)が無視され、"c"すなわち4分の4拍子となっており、それ以来ほとんどの出版譜がそれに倣って、プレリュードとアルマンドを4分の4拍子で塗りつぶしてしまっている。

2分の2拍子と4分の4拍子では、音楽の感じ方が違うし、当然テンポにも影響してくる。それをバッハははっきりと書き分けているのに、どうしてこれまで無視されてきたのか、正直理解に苦しむのである。

これら以前の版でバッハの無伴奏チェロ組曲を弾いていらっしゃる方は、"c"に縦棒を書き加えるようにおすすめします。

追記

今日楽譜屋に行って最近の版について調べてみましたが、さすがに新しい版、ヘンレ(2007年)、ウィーン原典(2000年)、ブライトコプフ(2000年)、また新しくはないけど、ペータース(1965年)ではこれらの点が改められていました。ショット(1966年)も1番のアルマンド以外は改められていました。

しかし前の記事で取り上げた「無視された半小節」については、すべての版が相変わらず無視し続けていました。

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  1. 2010/09/03(金) 15:21:37|
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