パリの東から

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バッハ「平均律クラヴィーア曲集」第1巻第1番のプレリュード
中村洋子(ようこ)さんという作曲家がいる。

音楽の大福帳」というユーモラスなタイトルのブログを書いていて、ご存知の方もいるだろう。最近そのブログの記事をまとめた本も出版されて、好評のようである。ぼくは残念ながら彼女の作品を聞いたことはないが、聞いた人の感想を読むとこれもまたなかなか好評である。

さて、ブログの内容も興味深いことがたくさん書かれていて、例えばバッハの「平均律クラヴィーア曲集」第1巻第1番のプレリュードについて、鋭い指摘がなされている。
■平均律第 1巻 1番前奏曲で、「反復」のもつ大きな意味■

このあまりにもよく知られたプレリュードの第34小節、つまり終わりから2小節目のバス音(C)は普通全音符か2つの2分音符がタイでつながれて書かれている。ところがバッハの自筆筆ではタイでつながれていない2つの2分音符が書かれており、この小節のバス音は2回弾かれるべきだと言うのである。

そんなアホな、と思い自筆譜を見てみるとなるほどその通りであり、ためしに2回弾いてみるとその方がこの曲が生き生きとしてくる。一度弾いてしまうと二度と全音符で弾く気にはなれなくなる。この指摘は多分世界で彼女が最初にしたのではないだろうか。

バッハの自筆譜より
Well Tempered 1-1 Prelude

そして注意してほしいのは、その前の小節(第33小節)も全音符で書かれているのではなく、2つの2分音符がタイでつながれているのである。つまり音楽的には2分音符が2回繰り返されるのだが、それではちょうど2番目の2分音符の時上の高いC音と重なってうるさく感じられるので、それを避けるためにタイでつながれたと考えられるのである。

つまり第33小節だけがこの曲の中の例外であり、バス音は、ゆっくりとした鼓動のように、一貫して1小節に2回ずつ弾かれるのがこの曲の本来の姿なのである。ぜひとも試してみてほしい。


このような優れた指摘もある一方で、首を傾げざるを得ないような記事もある。同じ曲について書かれたもので、■平均律1巻1番 Preludeの冒頭第1小節目には、バス声部が不在■というのだが、これは何かの思い違いとしか言いようがない。

彼女によれば、冒頭タイでつながれた付点8分音符と4分音符によるE音は、一般的な出版譜では下段のヘ音譜表上に書かれているが、自筆筆では上段のソプラノ譜表上に書かれているので、これはテノール声部ではない、一見バス声部に見えるC音が実はテノール声部であり、本当のバス声部は第10小節から入るのだという。

バッハの自筆譜より
Well Tempered 1-1 Prelude

「四声が出揃うのは、10小節目以降となります」というのだが、このプレリュードは上で見た第33小節と第34小節を別として、終始一貫して5声体の和声で書かれていることはあまりにも明白である。なぜそんな複雑な見方をするのかまったく理解できない。その理由も上段に書かれているからだというのだが、バッハのどの曲でも調べたら、声部と段とは関係がないことぐらいすぐわかる。

中村さんは大作曲家の自筆譜に学べというのだが、それはもちろん結構なことだが、そのバッハ自身によるこの曲のもう一つの自筆譜、すなわち長男ヴィルヘルム・フリーデマンのために書かれた「クラヴィーア小曲集」にあるこの曲の原形には、第7小節以降がアルペッジョではない5声の和声で書かれているのである。またこちらでは冒頭のC音は上段のソプラノ譜表に書かれていて、声部と段が関係ないことがはっきりとわかる。

ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集より
10991109a.jpg
10991110a.jpg


誰だって思い違い、勘違いはあるのだから、それは大したことではない。しかしこの記事や他の記事に関して、去年以来彼女のブログにコメントしているのだが、未だにコメントは掲載されないし、彼女からの反論もない。同じくバッハの音楽に関わっている者として、非常に残念である。

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  1. 2016/04/17(日) 10:20:58|
  2. バッハ
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甦えるジーグ ~バッハ「フランス組曲」と「パルティータ」より
~2つの2分割系ジーグ~

バッハの「フランス組曲」の楽譜を見ていて、第1番ニ短調(BWV 812)のジーグに目が止まった。ジーグは普通8分の3や8分の6、8分の12拍子など、つまり3分割系(1拍が3つに分かれる)で書かれるものだが、このジーグは付点8分音符と16分音符のペア、いわゆる付点リズムで書かれているのである。つまり2分割系で書かれているのである。

バッハの自筆譜(1722年の「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」より)

French Suite 1 Gigue JSB

いろいろ演奏を聴いてみたが、ほとんどが楽譜どおりか、付点をさらに強調してほとんど複付点音符に近く演奏しているものさえあった。しかしいくら記譜がそうなっているからといって、ジーグはジーグである。これはあくまで記譜上そうなっているだけで、演奏は3分割系であるはずである。

こちらに英文の記事があるので参照してもらいたいのだが、フローベルガー(1616-1667)の組曲に興味深い例があるのだ。
http://www.scena.org/lsm/sm7-5/students-en.html

Suite VIIのジーグは2分割系で書かれているのだが、同じ曲が別の組曲(suite XXIII)にも使われているのだが、そこでは3分割系に書き直されているのである。

Froberger Gigue 1

Froberger Gigue 2

これらの楽譜はIMSLPのこちらのページにあります(Volume 2)。
http://imslp.org/wiki/Complete_Organ
_and_Harpsichord_Works_%28Froberger,_Johann_Jacob%29


後者はフローベルガーではなく誰か他の筆記者によるものらしいが、いずれにせよ前者の実演版と考えられるもので、実に貴重な記録である。「フランス組曲」のジーグも実際の演奏はこれと同じと考えて間違いないだろう。

また「フランス組曲」のテーマは、短調と長調の違いはあるが、ブランデンブルグ協奏曲第5番第3楽章のテーマとよく似ている。これと同じように軽やかな曲と考えて差し支えないだろう。しかし実際にはとてもジーグとは思えない重々しい演奏が多い。これは出版譜にも一因があるかもしれない。

ぼくが持っているのはベーレンライター版だが、どういうわけかC(4分の4拍子)で書かれているのだが、これは上の自筆譜に見るようにバッハは¢(2分の2拍子)を書いているのである。他の多くの筆写譜もほとんどが¢であるが、例外としてはバッハの息子、ヨハン・クリスチャン・バッハの筆写譜がCではあるのだが、バッハ自身としては速いテンポを考えていたのである。

いずれにせよ、このジーグは次のように弾かれるべきである。

French Suite 1 Gigue realisation m1


これでジーグ本来の生き生きしたリズムが取りもどされる。目の前でアンナ・マグダレーナが弾いている姿が浮びそうである。



ところでバッハにはもう1つ2分割系のジーグがある。「パルティータ」第6番ホ短調(BWV 830)のジーグである。どうやらバッハの2分割系のジーグはこの2つのみであるようだ。

しかし上の記事で取り上げられている「パルティータ」のジーグの解釈は奇妙なものである。そもそもはハワード・ファーガソン(Howard Ferguson イギリスの作曲家、音楽学者、1908-1999)の提案によるもののようで、確かにいろいろ演奏を聴いてみると、譜面どおりの2分割系の演奏のほかに、アンドラーシュ・シフ、トレヴァー・ピノックなど、この解釈による演奏もいくつかある。

Partita Gigue 24,16

しかしどう考えてもこれはおかしい。失礼な言い方になるが、これをバッハが聞いたら多分お茶、ではなくコーヒーを吹くことだろう。

多くの人がこの解釈を3分割系だと言っているが、それは正しくない。正確には2分音符を6分割しているのである。つまりまず2分音符を2分割し、それをさらに3分割しているのであるが、むしろイネガルをかけている、あるいはスイングしていると言ったほうが実態に近い。つまるところイネガルをかけた、あるいはスイングしている2分割系に過ぎないのである。3分割系だという主張は欺瞞である。

このジーグは○に縦線という非常に珍しい拍子記号で書かれていて、これは1分の2拍子(1小節に全音符が2つ)を意味する。多分バッハでもこの曲だけではないだろうか?しかしともかく記号は違うとは言え、「フランス組曲」と同様2拍子であって決して遅いテンポではない。ファーガソンの解釈では非常に遅くなってしまう。

またこの曲はバッハの記念すべき最初の出版譜であるとのことだが、出版譜では1分の2拍子になっているが、1725年の「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」に書かれたバッハの自筆譜では2分の2拍子になっているのである。どうしてバッハが出版に際して1分の2拍子にしたかわからないが、ひょっとしたらあまりに速く弾かれることを警戒したのかもしれない。しかし後の世で逆にあまりに遅く弾かれていることを知ったなら、拍子記号を変えたことを後悔したことだろう。

バッハの自筆譜
Partita BWV 830 Gigue JSB

1731年の出版譜
Partita BWV 830 Gigue 1731


さてそれではこのジーグはどのように弾かれるべきなのか?フローベルガーのジーグをヒントに解読を試みたところ、それは驚くべきものであった。この曲を初めて聞く、あるいは弾く人にはごく普通に感じられるだろうが、この曲を聴きなれた人、あるいは一生懸命練習して来た人にはまったく信じられないものとなったのである。

できればぼくの解読を見る前に自分で解読を試みてもらいたいのだが、最初の1ページだけをここに紹介する。










Partita BWV 830 Gigue Yokoyama 84


参考までにシンセサイザーで作った音声(ピアノ)をYouTubeにアップした。




理論的な説明はともかく、実際に弾くか、上の参考音声を聞いていただければこの解読が正しいということはすぐにわかるだろう。今まで長年この曲を弾いてきた人はすぐには理解できないかもしれないが。何よりジーグ本来の姿が甦ったのである。まさに「真理は単純」である。

いずれ楽譜書庫に全体を掲載することになるだろうが、続きは自分でやってみるのがいいだろう。面白いパズル解きになるだろうから。難しいのは4つ続きの8分音符の扱いだが、これは固定しているのではなく、音形により、あるいは前後の関係により、違ってくるだろう。

(追記

楽譜が完成しました。IMSLPからどうぞ。楽譜書庫にも載せましたが、最近はIMSLPが中心で、楽譜書庫の更新を怠りがちですので。また1725年の自筆譜と、1731年の出版譜とぼくの実施譜を並べて比較研究ができる楽譜も作りました)
http://imslp.org/wiki/Partita_in_E_minor,_BWV_830_%28Bach,_Johann_Sebastian%29

比較楽譜を見ていただいたらわかるが、細かい動き(1725年の自筆筆では32分音符、1731年の出版譜では16分音符)の書き方が、同じ版の中でも異なり、また同じ場所でも2つの版の間で異なることから、これらが書かれたとおり弾かれるのでないことは明らかだろう。例えば前半と後半のそれぞれの終わりにあるアルペッジョの上行する部分において、最初バッハは長短短のリズムを考えて、後にそれを短短長に改訂したなどと考えるのはまったく馬鹿げているだろう。

それにしても、インターネット上でできる限りの録音を聴き、またできる限りの記事や論文を読んでみたが、誰もこのような解読を試みていないのである。おそらくバッハの死後まだしばらくはこのジーグを正しく弾く人はいたかもしれない。しかし多分19世紀の初めごろからこのジーグは譜面どおりに弾かれ続けたと思われる。つまりぼくがこうして提案するまで約200年間、この曲は間違って演奏されて来たのである。まったく信じられないことだが。

ただ一人、アメリカのチェンバリスト、フェルナンド・ヴァレンティは 「A Performer's Guide to the Keyboard Partitas of J.S. Bach」 (1990) の中で、このジーグが8分の12拍子で弾かれるべきかも知れないと言っているらしいが、彼はそれ以上解読を進めなかったようである。次の論文に引用がある(31ページ)。
http://scholarship.claremont.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1221&context=ppr


追記

個人的に第31小節から32小節が大変気に入っている。ゾクゾクするほど魅力的であるが、従来の演奏、特に6分割系ではまったくこの魅力が感じられない。


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  1. 2016/02/16(火) 21:01:33|
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